« 成功の宣言文メンバーからのメッセージ | メイン | 成功の宣言文 1671 楽しみながら  実践する姿 »

成功の宣言文メンバーからのメッセージ

■ちょっと頑張ろうを発信して2周年になる福田さんからコメント
をいただきました。継続することを決めてやっていて、振り返った
ときに、楽しめている自分の変化に気づくのですね。自分を変える
ことは、新しいことを初めて継続することだなと思いました。ちょ
っとガンバの中身もヒントをいただけますが、楽しみながら続けて
いる福田さんからも改革実践の気づきをいただけます。近藤研の自
主的朝会も武田さん、山本さん、張さんが中心になって楽しみなが
ら継続しています。そのうち変化している自分達に気づくのでしょ
うね。(近藤)
●「あの言葉 自分の中に ふと落ちた」   現状の姿
■近藤先生 シードウィンの福田です
ご無沙汰いたしております。
成功の宣言文、毎日拝見させて頂いております。本日は、リアルタ
イムで掲載して頂きありがとうございました。思い起こせば、もう
2年もたってしまいました。先生のお言葉、何故か、フゥッと自分
の中に落ちたのですね。どのように落ちたのか分らないのですが、
続けることが何でもないように思えて始めてしまいました。多分、
そんな事柄があるのでしょう。お陰さまで、続けられているようで
す。書くことで生活サイクルも変わってしまいました。書くことで
見る範囲も違ってしまいました。前はもっとだらしない生活だった
のでは思うほどです。午前9時までに発信しようと決めたのが良か
ったのかもしれません。タイムマネジメントで「自分にアポを取れ
」とありますが、早朝の1~2時間、いろんなものを考えられるよ
うになりました。
よく、久木蕎麦、能登カフェ、を思いだしています。能登カフェの
再開はいつなのでしょうか。また、能登へ行きたいと思っているの
ですが、なかなか難しいです。これも、「行こう」と思い切ればよ
いのでしょう。また、北陸で四季の会があるのを楽しみにしていま
す。ありがとうございました。
福田 豊志 mail: fukuda@seedwin.co.jp

■かわら版の京増さんも継続の達人です。京増さんから、かわら版
「こころの作法」をいただきました。そのなかで、山折哲雄氏(国
際日本文化研究センター 所長の「サバイバルセオリーと無常セオ
リー」に感動しました。4画面で言うと、サバイラルセオリーはな
りたい姿になり、無常セオリーはありたい姿になるのですね。山折さ
んがいわれるように二者択一でなく、調和を求めるのではないかと
思います。
4画面で言うと、実践の姿と実践する姿で調和を求めることになる
と思います。ありがとうございました。(近藤)
●「調和ある 二重奏を 奏でるや」   実践する姿   
■かわら版:“回顧録” こころの作法    071106 NO.1785
==============================
かわら版読者の関幸一さんから、「こころの作法」という財団法人
松下視聴覚研究財団「設立30周年記念式典」の参加報告です。
視聴覚教育は、音や映像などのマルチメディアを駆使した教育とい
うテーマですが、そこであえて、「聞いて、聞いて、聞き続ける態
度」「美しい沈黙」の重要性を持ってきた講師の慧眼と力量に感服
したという関さんのご意見でした。
1.かわら版回顧録 NO.12 「こころの作法」
2.藤野さんのメルマガから  「消費・賞味期限誰が決めるの?」
3.藤村さんのメルマガから  「世界の“吉兆”。醜い!」
かわら版のバックナンバーは私のホームページからご覧頂けます。
京増弘志 PDB01260@nifty.com 
http://homepage3.nifty.com/kyomasu/
==============================
1.かわら版回顧録 NO.12 「こころの作法」 2003.11.25 発信
■こころの作法
記念講演 「こころの作法」
講師 山折哲雄氏 (国際日本文化研究センター 所長)
~サバイバルセオリーと無常セオリー~
(人類の危機的状況下における二つの選択肢)
イラクやトルコの事件が、東京でも起こる危険性を感じている人は
多い。このような困難な状況にどう対応するか。人類史2000年
・3000年の中で、人類はいろいろ考えてきた。この危機的な状
況に対応するのに、大きく分けて2つの心構え、2つの選択肢があ
る。
1)ユダヤ・キリスト教的な対応
2)アジア的、仏教的・道教的な対応  である。
第一のユダヤ教・キリスト教的な対応というのは、旧約聖書に出て
くる「ノアの箱舟」に象徴される。人類の傲慢さに怒った神が大洪
水を起こし、ノア(一族)だけが生き残るという物語である。
一言で言うと「生き残り戦略」。少数の人間だけが生き残る「サバ
イバルセオリー」である。ユダヤ・キリスト教的なものの根幹は「
選民思想」である。「人間、いかに生くべきか。いかに死すべきか
。」という命題がある。1912年のタイタニック号の悲劇は、現
代版の「ノアの箱舟」と言える。旧約聖書の時代もそうだったが、
タイタニックの時も、生き残った人々のこころのありさまは残って
いるが、死なざるを得なかった人々の思いは残っていない。
英国マンチェスター大学のジョー・ハリス博士が出した哲学的命題
、それは、「サバイバル ロッタリー」というものである。「もし
も、10人の命を助けるために、(だれか一人の命を奪わなければ
ならないとしたら)どのように一人の人間を選ぶか」という命題で
ある。それを選ぶルールや方法は無く、ロッタリー(くじ引き)で
選ぶというのは、いかにも英国らしい。「最大多数のための最大幸
福」という考え方である。我々の社会でも、この命題に直面する。
英国で、「劣悪な自然環境のなかで、死んだ人の人肉を、食べて生
き延びた人たちを、許せるか許せないか」という裁判になったこと
があった。結果は「許される」という判決が出た。ここにも「サバ
イバルセオリー」がある。これは、「ノアの大洪水の時」の選択肢
その1である。
もう一つの選択肢がある。「その時、我もまた、死に赴こうとする
」すなわち、皆と同じ運命を甘んじて受け入れようとする選択肢で
ある。仏陀の「無常」のセオリーである。すなわち、「形あるもの
は滅する」ということ。
「無常観」にもいろいろある。インドでは「乾いた無常観」であり
、「冷たい無常観」である。仏教が日本に入るとそれは、「湿った
無常観」「情緒的な無常観」となる。それは、平家物語の冒頭に象
徴される。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、……」盲目
の琵琶法師により語られ、共感と同情を持って聞かれる「身悶えす
る無常」である。イラクへの自衛官の派遣に際して、はたして「身
悶えする無常」といったこういう伝統が残っているだろうか。
良寛の無常観は、明るい無常観である。良寛の句に、「裏を見せ 
表を見せて 散る紅葉」というのがあるが、気持ちのいい無常観で
ある。「散る桜 残る桜も 散る桜」これは清澄な無常観である。
良寛が尊敬する道元の句に、「春は花夏不如帰 秋は月 冬雪冴え
て涼しかりけり」があり、川端康成はノーベル賞受賞の時にこの句
を引用して、日本人の四季を感じる感情の細やかさを説明したが、
良寛はこの句を受けて、「形見とて 何か残さん 春は花 夏不如
帰……」と詠んだ。「このようなモドキ芸」が日本の芸の本質であ
る。
2つの選択肢とは、言い換えると
1)サバイバルセオリー
2)無常セオリー
である。
私は、10年前は、この二つの二者択一だと考えていた。しかし、
今は違う。今や日本では、既にサバイバルセオリーが染み付いてい
る。衣食住の全てを律している。その前提の上で、無常セオリーを
どう結び付け、どう調和させるのか。この問題を考える必要がある
。大多数の中で、少数の人間を生かす。政策の中に、そして経済運
営の中に。はたして、それは、調和のある二重奏を奏でるのか、そ
れとも自動演奏のようなギクシャクとした演奏となるのか。

■昨日、JAISTのM1の岡田さん達が、MOT改革実践論での
最終提案された「ユーユーを世界の食の広場に」の第二回を開催さ
れました。オーナーの林さんと学生が連携して今回はベトナム料理
でした。私もお邪魔して、生春巻きや揚げ春巻きなど本場のベトナ
ム料理をいただきました。宮本前町長や北国新聞の記者の方もきて
いただいて、地域の方や学生と世界の食の広場を楽しみました。前
日から北国新聞で大きく取り上げていただきました。皆さん、あり
がとうございました。(近藤)
●「楽しんで いただけたこと 楽しくて」  現状の姿 
■近藤先生 お忙しいところ失礼します。岡田です。
今日はお忙しい中、国際交流会に参加してくださいましてありがと
うございました。交流会の方はお楽しみいただけましたでしょうか
。オーナーの林さんも先生がいらっしゃったので喜ばれてました。
しかし、予定通りに進行できずあわただしい会となってしまい、十
分な応接ができず申し訳ありませんでした。
今後もゆっくりのペースではありますが会を継続しますので、ご指
導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。本日はありがとうございま
した。それでは、失礼します。
北陸先端科学技術大学院大学 知識科学研究科 博士前期課程1年
組織ダイナミックス論講座 近藤研究室  岡田弘毅
E-mail:hokada@jaist.ac.jp