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成功の宣言文メンバーからのメッセージ

■「成功の宣言文」文庫は第一巻「四画面思考」に続いて、第二巻
「元気の出る俳句」が発刊されています。「成功の宣言文」文庫の
購入は下記ブログより可能です。
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■インテリジェンスマイニングの長谷川さんから、日野原先生の「
動くこと」にコメントをいただきました。たしかに「実践する姿」
で「語る」ことは「説得力」がありますね。ありがとうございまし
た。(近藤)
●「説得力 実践されて いる人は」   近藤修司
■近藤修司さま 日野原先生の番組、私も見ました。
実践されている方の語り・発言は説得力があります。一つひとつの
発言が、実に重みを感じました。未来の講演のネタをいつも意識し
て集めているとのことですが、これが未来デザインの源泉、そして
生きる元気の元になるのでしょう。
(敬老の日が近い中で)100歳以上の方が、全国で30,000人
もいるとのことです。長く生きることが目的ではなく、生きた結
果として100歳以上になれればと想いました。私は、やっと半分ま
で来たところです。
インテリジェンスマイニング
長谷川博彰 hasegawa@i-mining.com

■勝さんから「バローレ通信」VOL23をいただきました。私に
とっては「バローレ」は「ありたい姿」ですが、勝さんは国に対し
ても、「どう向き合っているか」「どう対峙しているか」「どう役
だつか」・・を考えておられるのですね。すばらしいことです。さ
っそく渕野さんからも「主体と客体のバランス」のコメントをいた
だきました。昨日、いしかわMOTスクールで第三回目の講義と懇
親会がありましたが、「一人ひとりの4画面」がみえてきて、「主
体と客体のバランス」が取れた4画面に「進化して」いくと良いと
思いました。(近藤)
●「バローレは 主体と客体 存在し」   ありたい姿
■「バローレ通信」vol.023   2007/09/14
今週のバローレ探求 :『関わり方』
存在価値ということを考えるとき、必ずそこには、「主体」と「客
体」が存在します。「見られるもの、知られるもの(客体)」は何
で、「見るもの、知るもの(主体)」は何であるか。 そして、そ
の二つの関係性はどうであるか?
「私の存在価値」ということを考えたときに、「誰にとって」とい
う客体は、色々なものが想像できます。
宇宙にとっての私の存在価値は?
地球にとっての私の存在価値は?
国にとっての私の存在価値は?
地域にとっての私の存在価値は?
会社にとっての私の存在価値は?
学生にとっての私の存在価値は?
弟子にとっての私の存在価値は?
師匠にとっての私の存在価値は?
家族にとっての私の存在価値は?
そして、自分にとっての私の存在価値は?
以上のようなことを考えていると、各客体と「私」の関係性、つま
り関わり合いかたは、どうなんだ?という疑問がさらに沸いてきま
す。 例えば、国にとっての私の存在価値と言ったとき、私は国と
どう向き合って、何を働きかけているのか、どんな役割を果たして
いるのか、ということを考えます。 納税者として、選挙民として
、消費者として、次の世代を育てる教育者として、・・・。
すると、あれができてない、こういうことをしたい、というテーマ
がいろいろでてきます。 そうしたテーマに取り組んで、少しづつ
でも何かを成し遂げていくことが「存在しがい」=「生きがい」に
つながるのだと、私は思います。 言い換えると、存在価値を考え
るときには、あまり見返りを求めてはいけない。 
「存在しがい」=「生きがい」と言ったように、主客逆転が起きて
、誰にとってのが、また「自分にとっての」に戻るわけです。
こうして考えてくると、やはり、バローレは、相手方で発生してい
て、自分で、いくら自分の存在価値を考えても、そこにバローレは
見いだせないのですね。
(やるべきテーマを探すという意味では、自分の存在価値を考える
ことは有効です。) 勝眞一郎

●「バローレは 主体客体 バランスを」   近藤修司
■勝 眞一郎さん
『バローレ通信』vol.023を配信いただき、ありがとうございます
。安部首相辞任で「美しい国」は予想通り?空中分解?しましたね
。「教育再生」は大丈夫でしょうか?
こちらのほうが私にとっては大切です。誰が首相になろうと今の自
民党に多くを期待できません。それじゃどうすればいいのか?
選挙権の行使だけではどうにもなりませんね。
バローレな政治と政治家とはどんなイメージでしょう?
そんな国はあるのでしょうか?
政治と政治家のバローレ(存在価値)が今、自他共に問われていま
す。
> やはり、バローレは、相手方で発生していて、自分で、
> いくら自分の存在価値を考えても、そこにバローレは見いだせな
 いのですね。
> やるべきテーマを探すという意味では、自分の存在価値を考える
 ことは有効です。
同感です。
というよりバローレ(存在価値)には、主体と客体の絶妙なバラン
スが大切のように感じます。どちらが欠けてもバローレは前進しな
い?これは車の両輪に近いイメージです。主体の車輪が大きすぎる
と、自己満足に終始し、空回りします。客体の車輪が大きすぎると
、主体性がなくなり自分の意志と違う方向に進みかねません。それ
でもバローレはあるのでしょうか?これらはバローレ=存在価値と
いう前提での私の考え方です。バローレと存在価値が完全に一致す
るものかは、私にとって未知の世界です。
☆☆☆☆バローレ富士♪